西新井
東武スカイツリーライン 西新井駅 ひらさわ呉服店

夏の記憶 78回目の8月15日。

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嘘も本当も、あの夏空は見ている。

昨年、足立区の関原不動商店街を歩いた際に訪ねた
「ひらさわ呉服店」の店主からハガキが届いた。
暑中伺いの文面に戦争に関する記述と平和への願いが記されていた。
8月15日を迎えて、店主である平澤建二さんの話を伺いたいと思った。
ひらさわ呉服店の店構えの特色はライオン看板だ。
通りに面した看板はライオンのたてがみのように立派で目立つ。
店には着物生地で作ったスカジャンや
アロハシャツなどのオリジナルKENGブランドも並んでいる。
昭和10年生まれの平澤さんは、昭和20年の東京大空襲を体験している。
戦争真最中の少年時代、何が苦しかったかと言えば食べ物が無いこと。
水にもとても不自由していて、一日にわずかな時間しか水道が使えず、
近所の防火貯水池の水を汲んで手拭いで漉して煮沸して飲んでいたそうだ。
学校に行くと毎朝「一億玉砕」と唱和させられるのだが、
皆が玉砕したら国が無くなってしまうと言うと先生に拳骨で何度も殴られた。
東京も戦火が激しくなった戦争末期には地方へ学校ごと疎開をした。
疎開は酷かった。
家や親が恋しくて逃亡を試みる子どもたちが何人もいた。
食べ物が無いので、野草や蛙も食べた。
疎開先の地元の人は疎開児童を虱っ子と嘲り、
盗んでもいない庭先の林檎を盗ったと言って腹や顔を蹴られたこともある。
学校の先生は助けてくれるどころか、
土地の人に逆らったと言って平澤さんたちを石畳に正座させて往復ビンタ。
友達のY君は宿舎の二階から下の炊事場の匂いを嗅いでいて
誤って落ちて死んでしまったのだが、先生から渡された慰霊文には
学童訓練の最中に亡くなった旨が書いてあった。
嘘八百の世の中を嫌というほど知らされた。
平澤さんは、今の日本は当時の空気と似ていると言う。
今も昔も政治は嘘が多い。
それに歯止めをかけるのは一人ひとりの生きている気持ち、行動だと言う。
喉元過ぎれば熱さ忘れる。
平澤さんたちの体験も時間と共に忘れられてしまうのだろうか。
それでは死んでいった人たちがあまりに悲しい。
人間は、それほど愚かなのかな。

案内人:小林猛樹
写真はこちら

案内人

商店街。ひと、もの、あじ

商店街。MAP

  • ●住所
     ・足立区関原3丁目4−5

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