蒲田
京浜東北線 蒲田駅

西蒲田女塚通り会

商店街一覧

商店街の名前の由来は、南北朝時代の伝説。

秋晴れの今日来たのは蒲田駅。駅西口へ出て右へ向かう。
ドン・キホーテとゲームセンターの間の道を進んで行く。
駅へ行き交う人でごった返す通りの左右には、
飲食店がひしめいている。
少し行くと日本工学院の校舎が見えてきた。
校舎の間を縫って、さらに先に進むと渋い街路灯があった。
商店街の入り口にある街路灯には
「女塚通り会」の看板がかかっている。
先に並ぶ街路灯には
「西蒲田女塚通り会」と記されたフラッグが揺れている。
女塚通りとは、なかなか興味を惹かれる名前だ。
通りを歩いて行く。
人通りは少ない。
通りには店舗よりも住宅の方が多い。
店舗で目立つのは飲食店だ。
カフェ、お好み焼き、蕎麦、居酒屋などなど、
嬉しいことに女塚通りの飲食店は個人経営の店が多い。
電器店のナショナル坊やと薬局のサトちゃん人形を横目に進むと
卓球用品専門店が現れた。
小さな店の名は「めいこう」。
50年近くこの地でシャッターを上げ続けている店だ。
店主に聞くと
卓球は小さな子供からお年寄りまで楽しめる生涯スポーツで、
大田区にも卓球を楽しめる施設がたくさんあるのだと教えてくれた。
オリンピックの時期になると店も忙しくなる。
特に水谷選手が日本で初めて卓球シングルスのメダルを獲得した
リオデジャネイロオリンピックの時は、客の数が驚くほど増えたそうだ。
店を出て先へ歩いて行く。
しばらく歩くと十字路の右奥に「魚亀」の看板。
近づいて行くと店先で店主が魚を三枚に下ろしている。
忙しい中、話しかけると気さくに応えてくれた。
店は昭和9年創業。
近所の常連客だけでなく、鮮魚店の数が少なくなった近頃は
遠くから魚を求めて店を訪れる客も少なくないそうだ。
女塚通りの名前の由来を聞くと、女塚はこの辺りの旧町名で、
近くには女塚神社があると教えてくれた。
早速、女塚神社に行くと女塚の由緒を記した石碑があった。
石碑には、南北朝時代に活躍した
新田義興公の侍女少将局を祀った塚だとある。
少将局は義興公の家臣の裏切りで殺されたとも。
西蒲田女塚通り会、この商店街の名前には古い悲しい物語が隠されていた。

案内人:小林猛樹
写真はこちら

案内人

商店街。ひと、もの、あじ

商店街。MAP

  • ●住所
     ・大田区西蒲田5丁目11−13

コメント

*が付いている欄は必須項目となりますので、必ずご記入をお願いします。

トップへ
街てく。