京急蒲田
京浜急行電鉄線 京急蒲田駅

キネマ通り商店会

商店街一覧

小津安二郎も歩いた?かもしれない通りを行く。

蒲田はかつて映画の街であった。
大正時代から戦前にかけて松竹の蒲田撮影所があり、
僕が子供の頃は、松竹、東映、東宝、大映、
日活の各封切館と名画座など、
憶えているだけでも8、9件の映画館があった。
初めて観た映画「ゴジラ対ヘドラ」も蒲田の映画館だった。
今日訪れた商店街は、その名もキネマ通り商店会。
かつての蒲田の姿をその名に留める通りだ。
京急蒲田駅から第一京浜国道を少し北に行くと、
右手に「キネマ通り商店街」と赤い大きな文字で記された
無骨なアーチが出迎えてくれた。
通りに連なる街路灯には映画フィルムを模した看板に
昔の映画カメラのイラストが描かれている。
東西に長い通りに、残念ながら店舗は少ない。
今、商売を続けている物販の個店は、
生花店、靴店、文具店、青果店の4店舗のみ。
どの店も70年、80年とこの地で長く商いを続けている。
100年以上の歴史がある青果店「八百文」の女将さんに話を聞くと、
毎月1回開催していた「朝市」が商店街の名物で、
かつては他の商店街が視察に来るほど賑わったそうだ。
今は店舗も少なくなり、
商店街としての存続も厳しいのだと話してくれた。
通りの中程にビビットなイエローの壁を見つけた。
eggcellentは卵料理と卵を使ったスイーツの店で、
キネマ通りに工場があるのだ。
黄色い壁の中では人気のエッグタルトやカレーパンなど、
Outlet商品も販売している。
通りに新しい黄色い風が吹いている。
高校生の頃、蒲田の名画座でフェイ・ダナウェイとウォーレン・ベイティの
「俺たちに明日はない」を観た。
権力・体制に抗いながら強盗を重ねるボニーとクライドの姿が、
キネマ通りの個店たちに重なる。
二人は最後マシンガンで滅多打ちされ死んでいくのだが、
今ある個店たちは生き続けてほしい。
僕はキネマ通り商店会の明日を見たいのだ。
俺たちに明日はある。

案内人:小林猛樹
写真はこちら

案内人

商店街。ひと、もの、あじ

  • 戸田靴店

    戸田靴店

    赤いサンシェードに白い大きな文字で「戸田靴店」。小さな店に座っているのは二代目のご主人。販売している靴は、どれも廉価だ。店に目立つのが『靴の修理致します』の文字。二代目は元々靴作りの職人をしていた経歴の持ち主。手書きの八文字に職人の矜持がうかがえる。

    戸田靴店

    戸田靴店 戸田靴店

    赤いサンシェードに白い大きな文字で「戸田靴店」。小さな店に座っているのは二代目のご主人。販売している靴は、どれも廉価だ。店に目立つのが『靴の修理致します』の文字。二代目は元々靴作りの職人をしていた経歴の持ち主。手書きの八文字に職人の矜持がうかがえる。

  • 八百文

    八百文

    100年以上続く青果店を守るのは六代目。みずみずしい果物や野菜たちが店を賑わしている。今日は走りの春キャベツが店先に並んでいた。店頭には並ばないのだが、買い物が不自由になった常連には六代目の女将さんが作る総菜を自宅まで届けている。女将さんは毎日違う総菜を考えるのも大変なのだと笑っていた。これから先100年も八百文は街に無くてはならない店だ。

    八百文

    八百文 八百文

    100年以上続く青果店を守るのは六代目。みずみずしい果物や野菜たちが店を賑わしている。今日は走りの春キャベツが店先に並んでいた。店頭には並ばないのだが、買い物が不自由になった常連には六代目の女将さんが作る総菜を自宅まで届けている。女将さんは毎日違う総菜を考えるのも大変なのだと笑っていた。これから先100年も八百文は街に無くてはならない店だ。

商店街。MAP

  • ●住所
     ・大田区東蒲田2丁目3 キネマ通り

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