三軒茶屋
東急田園都市線 三軒茶屋駅

中里商店街

商店街一覧

大山道、玉電、246。 人や物を運ぶ「道」に生まれ、 歴史を紡いできた商店街。

三軒茶屋駅から246を駒沢大学駅方面に沿って少し歩き、
側道に入ると見えてくるのが中里商店街です。
中里商店街は江戸時代から続く、
大山道に沿ってひろがっています。
大山道は神奈川県伊勢原市の大山にある、
阿夫利神社に参詣する人々が通っていた道です。
昔からこの大山道を通って相模国の産物が江戸に運ばれ、
通りは多くの人で賑わっていたそうです。
1896年(明治29年)にはこの大山街道の上に、
二子多摩川の砂利を建設資材として
都心に運ぶ玉川線(通称ジャリ電)が開通しました。
1934年(昭和9年)頃になると、
列車は砂利ではなく主に人を運ぶようになりました。
この玉川線の玉電中里駅とともに、
中里商店街は発展してきました。
昭和初期に駅の付近に商店ができはじめ、
昭和40~50年代の最盛期には
120軒ほどのお店があったそうです。
商店街の理事長によると、
いま中里商店会に残っているお店は約50軒。
残念ながら最盛期の半数以下となってしまいました。
90年続いた薬局、
80年続いた銭湯も最近お店を閉めたばかり。
通りを歩くとお店の跡地なのか、
更地がいくつかありました。
そんな中でも、昔から続くお店もまだ残っています。
昭和元年創業の鳥肉専門店信濃屋さんは、
長年お店を支えてきたであろう高齢の奥様が、
焼き立ての手羽先をゆっくりと丁寧に包み、
あたたかい笑顔で手渡してくれました。
中里商店街を後にし、
途中にあった氷工房石ばしでかき氷休憩。
冷たいかき氷をいただきながら眺める、
壁に飾られた玉電の古いたくさんの写真。
鉄道や駅、そして道はただの輸送施設ではなく、
人の賑わいや愛着を生み出しながら、
中里商店街の歴史をつくってきたのだろうと感じました。

案内人:はたけあゆみ
写真はこちら

案内人

商店街。ひと、もの、あじ

  • 八百森

    八百森

    昭和初期から続いている八百屋さん。広い間口の店内に、新鮮な野菜や果物が並んでいます。二代目の奥様があたたかい笑顔でお客さんを迎える傍ら、三代目がきびきびとお店をきりもりしています。こちらの創業当初は、お店の前にある通りの向こうは、田んぼだったとのこと。その後商店が次々と開店し、昭和40年代は多くのお客様で商店街が賑わっていたそうです。三代目のご主人は野菜ソムリエや江戸東京野菜コンシェルジュなど、野菜の資格を多数もつ野菜のプロフェッショナル。新しい八百屋さんを目指しています。

    八百森

    八百森 八百森

    昭和初期から続いている八百屋さん。広い間口の店内に、新鮮な野菜や果物が並んでいます。二代目の奥様があたたかい笑顔でお客さんを迎える傍ら、三代目がきびきびとお店をきりもりしています。こちらの創業当初は、お店の前にある通りの向こうは、田んぼだったとのこと。その後商店が次々と開店し、昭和40年代は多くのお客様で商店街が賑わっていたそうです。三代目のご主人は野菜ソムリエや江戸東京野菜コンシェルジュなど、野菜の資格を多数もつ野菜のプロフェッショナル。新しい八百屋さんを目指しています。

  • 岡村金物店

    岡村金物店

    店内は工具やネジなど、プロの道具が満載。こちらは1947年(昭和22年)創業の金物店です。空襲で焼け出され、本郷からこの地に移転しました。創業当初は軒下を借りた間口一軒の小さなお店からスタート。本郷からつながりのある問屋さんから品物を下ろしていたそうです。現在は四代目がお店を受け継いでいます。お店では電動工具がよく売れるとのこと。小売だけでなく、工務店やゼネコンなどへの納入も行っています。

    岡村金物店

    岡村金物店 岡村金物店

    店内は工具やネジなど、プロの道具が満載。こちらは1947年(昭和22年)創業の金物店です。空襲で焼け出され、本郷からこの地に移転しました。創業当初は軒下を借りた間口一軒の小さなお店からスタート。本郷からつながりのある問屋さんから品物を下ろしていたそうです。現在は四代目がお店を受け継いでいます。お店では電動工具がよく売れるとのこと。小売だけでなく、工務店やゼネコンなどへの納入も行っています。

商店街。MAP

  • ●住所
     ・世田谷区上馬1-32

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